3月5日(月)11時49分配信
ミャンマーの民主化の実相をとらえるのは難しい。幻想を抱いてもいけない。かといって悲観的に見過ぎてもいけない。この国で今、起こっていることのキーワードは「せめぎ合い」だろう。どのような民主主義像を描くのか、暗中模索も続く。民主化の鼓動に交じり、生みの苦しみの声が聞こえた。(ヤンゴン 青木伸行)
かつての首都の面影を残す最大都市ヤンゴンを一歩出ると、あばら家が立ち並ぶ田園風景に変わる。南西へ約90キロ、エーヤワディ管区ピャポン。4月1日の連邦議会補欠選挙で争われる48選挙区の一つ、チャポ・リディア選挙区だ。
2月17日午後、国民民主連盟(NLD)の中央執行委員会議長(党首)、アウン・サン・スー・チーさん(66)が、町の空き地に設営されたNLDの集会場に現れると、炎天下、到来を待ちわびた数千人が大歓声で出迎えた。スー・チーさんは元教員の男性候補(44)を傍らに、25分間の演説の口火を切った。
「この候補者も投獄されていた。彼は民主主義の精神の持ち主で、国民の力と影響力を理解している。法の支配を確立し、貧困を遠ざけ、若者に教育の機会を与えなければならない」
自然な語り口だ。
「私が大きなサッカー場などの運動施設で演説することを、政権は許さなかった。でもここには善良な多くの人々が参集した」
支持者の男性(46)は「自由と民主主義、経済発展、政治・行政改革のために支持する」と話した。NLDは、獲得予想議席を30議席程度とみている。
ヤンゴン市内にあるNLD本部。16日午前、2階では中央執行委員会が開かれていた。議題の中心はスー・チーさんが翌日、ピャポンで言及することになる、サッカー場などの使用を政権が規制し、選挙活動を妨害している問題である。
「マンダレーやピャポンなどでは、運動施設で集会を開こうと政権に許可を求めた。より多くの支持者を動員、収容できるからだ。だが、所管するスポーツ相が許可しない」
NLD創設者の一人、ウー・ウィンティン氏(82)は顔を曇らせた。スポーツ相が横やりを入れたのだ。20日、スー・チーさんはテイン・セイン大統領(66)に抗議する。それから数時間後、大統領から「選挙運動での規制を解除した」との回答がくる。横やりを払いのけたようだ。
政権には(1)テイン・セイン大統領をはじめとする改革派(2)保守・強硬派(3)態度を決めかねている中間派-の3勢力が存在する。
保守・強硬派の代表格はティン・サン・スポーツ相、チョー・サン情報相、フラ・トゥン財務相などである。
大統領は士官学校の9期生で、政権では最も「先輩」。「政権は大統領を頂点とするピラミッド形の構造で、最終的にはトップに従う」(現地の消息筋)と見る向きもある。運動施設をめぐる動きは大統領の力具合、政権と野党、政権内におけるせめぎ合いをうかがい知る事象として、興味深い。
ミン・コー・ナイン氏(49)を、ヤンゴン市内の自宅に訪ねた。1988年の民主化運動の元学生リーダーで、1月に釈放された。民主化勢力の一角として、今後の動向が注目される「88世代学生グループ」の指導的な存在だ。
「『政権が進める改革は本物か』と聞かれれば、答えは『違う』のひと言だ」
人生の半分を獄中で過ごしただけに、猜疑(さいぎ)心と警戒心が骨の髄まで染み込んでいる。どのようなビジョンを描いているのだろう。
「88世代には3つの計画がある。まず市民社会、ソーシャルネットワークの構築だ。1カ月以内に、ソーシャルネットワークを立ち上げる。次に2015年の総選挙へ向け政党を結成する。3つ目に少数民族と連携し問題に取り組む」
やはり釈放された政治犯の一人に、07年の軍事政権に抗議する僧侶のデモを指導した、全ビルマ僧侶連盟の指導者、ガンビラ師(33)がいる。ヤンゴン市内のとある僧院を訪ねたが、彼の姿はなかった。
4年間獄中にあった僧院長(52)は「ガンビラ師は昨日(2月20日)までここにいたが、別の場所へ移った。どこかは知らない」と白を切った。
ガンビラ師は釈放後、政府が立ち入りを禁じている別の僧院の錠をこじ開け一時、拘束された。師が移動する前日、国営紙は彼が「訴追に直面している」と報じていた。
「彼は拘束を逃れるため、居場所を転々と変えている」と僧院長は吐露した。釈放後も逃亡を余儀なくされている現実がある。
現地の消息筋は「大統領は改革に本気だ。だが、国家と政権の安定を損ない、統制権を手放すようなことは絶対にしない」と話す。「民主化は末端にまで届いておらず、現場は何も変わっていない」とも言う。
大統領は、目指す民主化の姿を示してはいない。唯一手がかりとなるのは「規律ある民主主義」という言葉だ。他の東南アジア諸国と同様、西欧型の民主主義とは相いれないもののように思われる。それと民主化勢力や国際社会が思い描く民主主義像との間には、ギャップが存在する。そこにもせめぎ合いがある。
NLD幹部、ウー・ウィンティン氏の言葉で締めくくろう。
「トンネルの中に希望の光が差し込んでいる。だが、われわれはまだトンネルの中にいる」
かつての首都の面影を残す最大都市ヤンゴンを一歩出ると、あばら家が立ち並ぶ田園風景に変わる。南西へ約90キロ、エーヤワディ管区ピャポン。4月1日の連邦議会補欠選挙で争われる48選挙区の一つ、チャポ・リディア選挙区だ。
2月17日午後、国民民主連盟(NLD)の中央執行委員会議長(党首)、アウン・サン・スー・チーさん(66)が、町の空き地に設営されたNLDの集会場に現れると、炎天下、到来を待ちわびた数千人が大歓声で出迎えた。スー・チーさんは元教員の男性候補(44)を傍らに、25分間の演説の口火を切った。
「この候補者も投獄されていた。彼は民主主義の精神の持ち主で、国民の力と影響力を理解している。法の支配を確立し、貧困を遠ざけ、若者に教育の機会を与えなければならない」
自然な語り口だ。
「私が大きなサッカー場などの運動施設で演説することを、政権は許さなかった。でもここには善良な多くの人々が参集した」
支持者の男性(46)は「自由と民主主義、経済発展、政治・行政改革のために支持する」と話した。NLDは、獲得予想議席を30議席程度とみている。
ヤンゴン市内にあるNLD本部。16日午前、2階では中央執行委員会が開かれていた。議題の中心はスー・チーさんが翌日、ピャポンで言及することになる、サッカー場などの使用を政権が規制し、選挙活動を妨害している問題である。
「マンダレーやピャポンなどでは、運動施設で集会を開こうと政権に許可を求めた。より多くの支持者を動員、収容できるからだ。だが、所管するスポーツ相が許可しない」
NLD創設者の一人、ウー・ウィンティン氏(82)は顔を曇らせた。スポーツ相が横やりを入れたのだ。20日、スー・チーさんはテイン・セイン大統領(66)に抗議する。それから数時間後、大統領から「選挙運動での規制を解除した」との回答がくる。横やりを払いのけたようだ。
政権には(1)テイン・セイン大統領をはじめとする改革派(2)保守・強硬派(3)態度を決めかねている中間派-の3勢力が存在する。
保守・強硬派の代表格はティン・サン・スポーツ相、チョー・サン情報相、フラ・トゥン財務相などである。
大統領は士官学校の9期生で、政権では最も「先輩」。「政権は大統領を頂点とするピラミッド形の構造で、最終的にはトップに従う」(現地の消息筋)と見る向きもある。運動施設をめぐる動きは大統領の力具合、政権と野党、政権内におけるせめぎ合いをうかがい知る事象として、興味深い。
ミン・コー・ナイン氏(49)を、ヤンゴン市内の自宅に訪ねた。1988年の民主化運動の元学生リーダーで、1月に釈放された。民主化勢力の一角として、今後の動向が注目される「88世代学生グループ」の指導的な存在だ。
「『政権が進める改革は本物か』と聞かれれば、答えは『違う』のひと言だ」
人生の半分を獄中で過ごしただけに、猜疑(さいぎ)心と警戒心が骨の髄まで染み込んでいる。どのようなビジョンを描いているのだろう。
「88世代には3つの計画がある。まず市民社会、ソーシャルネットワークの構築だ。1カ月以内に、ソーシャルネットワークを立ち上げる。次に2015年の総選挙へ向け政党を結成する。3つ目に少数民族と連携し問題に取り組む」
やはり釈放された政治犯の一人に、07年の軍事政権に抗議する僧侶のデモを指導した、全ビルマ僧侶連盟の指導者、ガンビラ師(33)がいる。ヤンゴン市内のとある僧院を訪ねたが、彼の姿はなかった。
4年間獄中にあった僧院長(52)は「ガンビラ師は昨日(2月20日)までここにいたが、別の場所へ移った。どこかは知らない」と白を切った。
ガンビラ師は釈放後、政府が立ち入りを禁じている別の僧院の錠をこじ開け一時、拘束された。師が移動する前日、国営紙は彼が「訴追に直面している」と報じていた。
「彼は拘束を逃れるため、居場所を転々と変えている」と僧院長は吐露した。釈放後も逃亡を余儀なくされている現実がある。
現地の消息筋は「大統領は改革に本気だ。だが、国家と政権の安定を損ない、統制権を手放すようなことは絶対にしない」と話す。「民主化は末端にまで届いておらず、現場は何も変わっていない」とも言う。
大統領は、目指す民主化の姿を示してはいない。唯一手がかりとなるのは「規律ある民主主義」という言葉だ。他の東南アジア諸国と同様、西欧型の民主主義とは相いれないもののように思われる。それと民主化勢力や国際社会が思い描く民主主義像との間には、ギャップが存在する。そこにもせめぎ合いがある。
NLD幹部、ウー・ウィンティン氏の言葉で締めくくろう。
「トンネルの中に希望の光が差し込んでいる。だが、われわれはまだトンネルの中にいる」