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ミャンマー反政府系誌編集長 24年ぶり帰国「変革は十分でない」

3月20日(火)7時55分配信
 【シンガポール=青木伸行】タイを拠点とするミャンマーの反政府系「イラワジ」誌のアウン・ゾー編集長(44)が2月、政府から5日間の査証(ビザ)を発行され、約24年ぶりに祖国へ戻った。その手記がこのほど、同誌に掲載された。1988年のミャンマーの民主化運動時の学生活動家で、拘留、拷問された後にタイへ逃れ93年、「イラワジ」を創刊した彼の目に、民主化が進む祖国はどう映ったのだろう-。

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 ヤンゴン国際空港でパスポートを提示すると、出入国管理官は「『イラワジ』のウェブサイトを見ているよ」と笑った。「国内の情報をどうやって収集しているのか」とも質問された。

 空港から下町のホテルに着くまでには、祖国へ戻ったのだという安心感が徐々に芽生えた。ただ、ホテルのスタッフの「Mingalaba」(こんにちは)という言葉には(時代の変遷を感じ)少し耳障りな気がした。子供の頃、この言葉は学校の先生に対してだけ使っていたからだ。

 あるレストランで、経営者に「最近の変革をどう思うか」と聞くと、ぶっきらぼうに「すべてただ見せびらかすためだ」と言った。

 メディアの記者、編集者たちと会い、彼らに「イラワジ」をビルマ(ミャンマー)国内で発刊すべきか、たずねてみた。彼らは当局との「不条理な関係」に巻き込まれると警告した。

 その前に会った情報省の幹部が「ここで活動したいのであれば、検閲当局を通さなければならない」と言ったことが想起された。現実にはなお、自由な活動は許されておらず、規制が残っている。

 別の元情報省幹部も「(記事に)手心を加えることはできないのか。戻りたいのであれば、(政権への)批判を少なくしなければならない」と、親しげな声で水を向けた。このメッセージが、祖国での最初の夜を不安なものにした。

 ◆異なる「真実」

 ラングーン(ヤンゴン)大学を通り過ぎた。88年にここの学生だった。心が沈んだ。寮は空っぽ。どの建物も茂みに覆われていた。軍事政権は学生の動乱を恐れ、ビルマが誇るこの大学を組織的に破壊したのだ。

 政権内の改革派と保守・強硬派の対立、タン・シュエ(前国家平和発展評議会議長)の影響力など、水面下で本当は何が起こっているのか、誰もが異なる「真実」の解釈、解説をした。

 皆が唯一、確信をもって語ったのは、国をいくつかの違う方向へ導く力強さがあるということだ。あるビジネスマンは「次に何が起こるのか誰にもわからない」と言う。

 アウン・サン・スー・チー(国民民主連盟=NLDの党首)の選挙運動を見に行った。多くのビルマ人にとり、スー・チーが偉大な希望であることに疑いはない。NLD本部でスー・チーと短時間話もした。別れ際に彼女は「われわれはどこにいようとも、国のために働き続けなければならない」と言った。

 ◆「一方だけを信じるな」

 タイへ戻る直前、ビルマの最も尊敬すべきジャーナリストの一人、セインウイン氏に会った。彼は「テイン・セイン(大統領)、スー・チーのどちらか一方だけを信用しすぎることは、決していい考えではない」と忠告した。「ビルマの軍の指導者は悪賢く巧みに操作し、決して権力を簡単には手放さない」とも付け加えた。

 「イラワジ」のビルマでの発刊については「最良で最も安全な道は、タイに拠点を残したままにすべきことだ」と答えた。

 ビルマが変わったことを見ることができた。だが、(変革は)十分ではない。約四半世紀ぶりの今回の帰国が、最初で最後とならないことを望んでいる。
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