■変わるミャンマーに関与を
ミャンマーの民主化が急速に進展している。懸案だった政治犯の釈放が進み、カレン族など少数民族との停戦・和解の動きも加速。経済制裁を科していた欧米諸国も、流れに呼応して制裁解除に向け動き始めた。
クリントン米国務長官が昨年末にミャンマーを訪問、正式な外交関係樹立のプロセスが開始されたことが大きい。世銀などの国際機関理事会でミャンマー向け融資に反対してきた米国が反対をやめ、本格的な国際社会復帰にめどが立ってきた。
私が以前、首都ネピドーを訪問したのは、民主化の象徴、アウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁が解除される前の2010年7月だった。11年3月に軍政から民政移管し、テイン・セイン大統領による新政権ができてからの動きを見ると、変化はもはや不可逆といえそうだ。実際に1年半ぶりに行ってみると、それを肌で感じる。最大都市のヤンゴンでは外国人が増え、ホテルの予約も難しくなった。「アジア最後のフロンティア」ミャンマーに、日本はじめ外国企業が熱い視線を送っている。
ミャンマーでも特に地政学的価値が高いのは、南部の「ダウェイ港特別経済開発区プロジェクト」である。ダウェイ港はベンガル湾に面し、インド有数の都市チェンナイに至る「南部経済回廊」における、陸路と海路の結節点にある。タイの首都バンコクから350キロ、タイ・ミャンマー国境から132キロに位置し、この陸路が全て開通すると、海上交通の隘路(あいろ)、マラッカ海峡を通らない新たな物流ルートができる。ダウェイ港を特別経済開発区として、最長75年の土地リース、外国企業の株式所有制限撤廃、法人税・輸入関税の減免などの特権を付与するための国内法が11年1月に成立。タイのイタルタイ社が開発権を取得した。
私はバンコクでイタルタイ社のプレムチャイ社長と会い、ダウェイ港プロジェクトの現場にも足を運んだ。バンコクから国境までのタイ側にはアクセス道路があるが、ミャンマー側にはない。上空から見ると河川沿いのあぜ道のような未舗装道路が所々にある程度で、ダウェイまで陸路では行けない。ターミナルも何もない野原のような空港の滑走路では、若者たちが原付きバイクを乗り回していた。
プレムチャイ社長は「あのバイクは開発区内から住民に移住してもらう際、当社が支払った補償金で買ったものです。2万4千人の住民移転は6カ月以内に完了します」と解説する。移転先の住宅も全てイタルタイ社が用意している。
開発区は総面積250平方キロと広大で、アクセス道路もめどが立っておらず、民間企業であるイタルタイ社単独で企業進出を進めるのは難しいと感じた。プレムチャイ社長も「中国がミャンマー政府に圧力をかけ、われわれの開発権を白紙に戻すよう働きかけている」と語った。
プロジェクトを進めるには、タイ国境からダウェイまでのアクセス道路の建設が最優先と思うが、ミャンマーが抱える、政府開発援助(ODA)の延滞債権解消が先決だ。日本に対しては4千億円超の延滞債権がある。日本は他の債権者を含む延滞解消の主導権を取り、タイとも協力しながら、具体的な開発手順をミャンマーに示すような積極性が必要だ。(まえだ ただし)